日比谷図書文化館コンシェルジュ通信Vol.5:                    「日比谷図書文化館」の歴史をご紹介!

皆様、こんにちは。 

まだまだ残暑が厳しいですね。

 

2011年に千代田区立日比谷図書文化館として、

開館するまで、多くのドラマがありました。

 

《太平洋戦争中、本を守った人々がいたことを知っていますか?》

 

今回は、旧都立日比谷図書館の歴史と共に、

本の戦時中の疎開についてお話します!

 

1908(明治41)年、現在の場所に東京市立日比谷図書館として

開館したのが、その歴史の始まりです。

モダンでとても美しい洋館は、1915(大正4)年に、

建築画報社が発行した“東京百建築”にも選ばれています。

 

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戦前の東京市立日比谷図書館(『最新東京名所百景』より)

 

1923(大正12)の関東大震災では、

閲覧席が破損するほどの被害でしたが、倒壊は免れます。

 

1944(昭和19)、東京市が東京都に変わった翌年

都立日比谷図書館館長に就任した中田邦造は、

戦況の悪化にともない図書館にあった約26万冊の蔵書、

さらに市中にある貴重書も買い上げ、

合わせて40万冊の図書の疎開を計画しました。

 

勤労学徒動員で駆りだされた都立一中(現・日比谷高校)、

高輪商業(現・高輪商業高校)の生徒たち約50名が

リュックや大八車に本を積み込んで、約50キロ離れた

奥多摩や埼玉県志木市の農家に、何度も足を運びました。

百科事典のような厚く重たい本が多く、

約一年に及ぶ図書疎開は過酷を極めました。

 

1945(昭和20)年525

東京大空襲により日比谷図書館は、

20万冊以上の蔵書とともに全焼してしまいました。

 

もし、約40万冊の書物の疎開をしていなかったら、

日本文化の多くは失われていたのです。

 

戦争末期の食べるものもなく、

戦争に読書はいらないといわれた時代に、

本を残そうとした志の高さに感動しました。

 

40万冊という大規模な数ではありませんが、

全国の図書館でも、疎開は行なわれていたようです。

当館の〈特別研究室〉には、当時の駿河台図書館から

疎開した図書の一部が大切に保管されています。

戦争と平和、文化遺産の保存と継承について、

深く考えさせられる歴史の一端に

ふれていただける場所になっています。

 

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1957(昭和32)年

空襲で全焼してから12年後、図書館は再建されます。

三角形が特徴的な現在の建物ですが、この形の案は

当時、館長に就任した国文学者であり歌人の、

土岐善麿博士が提唱し、

高橋武志技師を中心に、設計されました。

特別めずらしいものを作ろうと考えたのではなく、

三角形の用地を最大限に利用しようとした結果、

ユニークなこの形になりました。

 

2009(平成21)、東京都から千代田区に移管され、

2011(平成23)千代田区立日比谷図書文化館として

生まれ変わり、現在に至ります。

 

当館2階図書フロアパープルゾーンには、

旧都立日比谷図書館の歴史特集コーナーを設けてあります。

来館の際には、覗いてみてくださいね。

 

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戦争中、本を、文化を守ろうとした

偉大な人たちに感謝しつつ、

たくさんのご利用をお待ちしています!

 

Posted at:11:55