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2022.01.27
日比谷図書文化館コンシェルジュ通信 Vol.29:日比谷公園~歴史探訪~ |
日比谷図書文化館の位置する日比谷公園は、幕末までは松平肥前守(まつだいらひぜんのかみ)などの大名屋敷地でしたが、明治時代に陸軍練兵場となりました。 その後「都市の公園」として計画、設計、造成し、日本初の近代的な洋風公園が1903年(明治36年)に誕生しました。
東京都公園協会提供の、公園内の歴史スポットを紹介した「日比谷公園歴訪ガイド」です。歴訪ガイドの写真の当時の場所が今はどうなっているのか歩いてみました。
大きな画像で見る(PDF:7654KB)
△▲△①車馬道△▲△
幅9,10m総延長約1.7KmのS字型の園路はかつて馬車も行き来しました。開園時に植えられたイチョウ並木は大戦中に切り詰められてしまったものの今なお健在です。秋は黄金色の並木道になります。
2022年1月撮影
△▲△②首賭けイチョウ△▲△
道路拡幅工事で伐採寸前にあったところ、公園設計者の本多静六博士が「私の首を賭ける」とまで言って東京市を説得、移植したものです。樹齢は400~500年。歴訪ガイドにはツツジ山と当時の松本楼の姿もあります。
現在の首賭けイチョウと松本楼です。
△▲△③雲形池・鶴の噴水△▲△
「心字池と共に開園当初からの面影を残すドイツ風庭園様式の池です。池内には、はばたく姿の「鶴の噴水」が置かれ、緑に覆われた静けさの中で、心地よい水音を響かせています。冬は広げた翼からいくつものつららが下がり、冬の風物詩になっています」
(園内掲示板より)
大空に向かって羽ばたきそうです。
△▲△④第一花壇△▲△
歴訪ガイドによると、「開園当時の姿を今に残す洋風花壇。今となっては珍しくない、チューリップ、パンジー、バラ、ダリアなどの洋花も当時の市民にとっては驚きをもって迎えられました」とあります。時代は変わっても可憐に咲く花々は心を清く明るくしてくれます。
△▲△⑤日比谷見附跡△▲△
「この石垣は、江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の一部です。城の外側から順に、高麗門・桝形・渡櫓・番所が石垣で囲まれていましたが、石垣の一部だけがここに残っています。
当時、石垣の西側は濠となっていましたが、公園造成時の面影を偲び、心字池としました」 (園内案内板より)
△▲△⑥奏楽堂△▲△
歴訪ガイドによると、「日本初の野外音楽堂で、軍楽隊の演奏は市民に絶大な人気を博しました。その伝統は今日まで、消防庁や警視庁の音楽隊に引き継がれています。現在の建物は3代目」とあります。
消防庁・警視庁音楽隊のコンサートは、現時点では開催の予定はなく決まり次第となっています。
東京消防庁音楽隊(金曜コンサート)のホームページはこちらから
警視庁音楽隊(水曜コンサート)のホームページはこちらから
現在は小音楽堂の呼び名で親しまれ、今も変わらず憩いの場となっています。
△▲△⑦運動場△▲△
歴訪ガイドによると、「大噴水や第二花壇の一帯は、かつて運動場(大広場)としてスポーツとともに、様々な国家的行事の舞台にもなりました。写真は明治42年、伊藤博文の国葬の様子」とあります。かつての運動場は今では第二花壇となっています。花壇の周りのベンチはランチをする人や本を読む人など自由な空間となっています。
現在の第二花壇の様子。
△▲△⑧日比谷門△▲△
開園時6か所の門(祝田・新幸・中門の3門は後年設置)がありましたが、この門が日比谷公園の顔となっています。江戸城見附の桝形門の石が使われています。
歴訪ガイドにある当時の写真と比べると、大きく育った樹々です。
日比谷公園歴訪ガイドを片手に日比谷公園内をまわってきました。変わるもの、変わらないものが共存した公園です。日常の隙間時間でリフレッシュできる素敵な公園です。
また、日比谷公園サービスセンターでは、
スマートフォン向けアプリ:日比谷公園 歴史ミステリー
日比谷公園開園当時のエピソードを巡る、歴史ミステリーツアーに出かけませんか?
という、参加無料のクイズラリーを開催しています。くわしくは公式ホームページをご覧ください。
Posted at:17:00