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5月26日(土曜日)、千代田図書館コンシェルジュと巡る神保町ツアー「神保町古書店街の150年」編 を開催しました!
ちよぴたブログでは、第1部のゲストのトークと第2部の街歩きツアーに分け、当日の様子をお伝えします♪
第1部のゲストは、明治大学史資料センター研究調査員、帝京大学非常勤講師の飯澤文夫さんです。
学生時代から大学での勤務、そして現在は「神保町を元気にする会」と共催の明治大学リバティアカデミーの公開講座「本の街・神保町で考える」を受け持つなど、神保町とはおよそ50年のつきあいになるという飯澤さん。
この日、神保町古書店街で初めて買ったという記念すべき1冊を持ってきてくださいました!
駿河台下の三茶書房で買ったという『田中英光 愛と死と』(竹内良夫・別所直樹/著、大光社)。
千代田区神田神保町1~3丁目を中心に、現在180軒近くの古書店をはじめ新刊書店、出版社や出版プロダクション、取次店、印刷・製本業者が立ち並ぶ神保町古書店街。
飯澤さんいわく「こんな街は世界広しといえど他にない」という神保町が、どのような歴史を辿って「世界一の本の街」になったのかを、豊富な資料とともに解説いただきました。
江戸時代、江戸城の周辺には武家屋敷が立ち並んでいました。
「神保町」の名前は、延宝または元禄年間に小川町(現・神田神保町2丁目)に屋敷地を拝領した旗本の神保氏が住んでいたことに由来するといわれています。
飯澤さんが用意してくださった『飯田町駿河台小川町絵図』には安政年間の神保町、そして千代田図書館周辺の街並みが記されています。この絵図は「切絵図」と呼ばれる江戸時代の住宅地図のようなもので、細い道筋や屋敷に住む人名まで書かれています。
切絵図をよく見ると、九段坂に清水門、俎橋(まないたばし)など千代田図書館周辺に今も残るおなじみのスポットが。大正12年の関東大震災後に整備される靖国通りなどいくつかの道を除いて、街の形は当時からほとんど変わっていません。
「街を知るために、古地図と現在の地図を比べての街歩きはおすすめですよ!」とお話しされました。
またこの切絵図には、九段坂下(現在の昭和館のあたり)に洋学・洋書の研究機関「蕃書調所」も記されています。
蕃書調所は明治期に入り開成学校へと再編され、のちの東京大学の前身となりました。
この他にも、明治初期には武家屋敷の跡地に数々の学校・病院ができ、その周辺には次第に学術書や専門書を扱う書店が増えていきます。現在は出版社または新刊書店として知られる有斐閣や三省堂、岩波書店も開業時は古書店としてのスタートでした。
明治25年の大火、そして大正12年の関東大震災を乗り越えながら、さらにその規模を拡大していった神保町古書店街。
教員や学生の需要もあり次々と古書店が開業する中で、一誠堂書店は多くの古書店主を輩出したことでも知られています。
「神保町には書店同士が学びあい、高めあう環境がある」と飯澤さんは言います。
第二次世界大戦中、東京大空襲の戦火を免れ、現在も歴史ある街の姿をとどめる神保町古書店街。
平成に入ってからも、裏通りには個性的な古書店や飲食店が増え、なお多くの人々に愛されています。
この街の起こりから現在に至るまで、楽しいお話しと充実の内容であっという間の一時間でした!
飯澤さん、ありがとうございました。
後半は、いよいよ神保町古書店街の街歩きへと出発です♪
Posted at:16:00