コンシェルジュ通信Vol.9:戦前の出版事情を知る2冊

かつて神田駿河台に「岡書院」という出版社がありました。

現在の千代田区神田駿河台一丁目、

明治大学の向かい、杏雲堂病院の付近です。

文化人類学関係の出版社で、『南方熊楠全集』や

柳田國男の『雪国の春』を出版したり、

『広辞苑』の前身『辞苑』を企画したりと、

非常に大きな功績を残しました。

その創業者、岡茂雄が書いた本が『本屋風情』です。

 

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『本屋風情』

岡茂雄/著

中央公論社

 

この本は第一回日本ノンフィクション賞を受賞していますが、

それもそのはず、明治から昭和にかけて活躍した著名な学者たちと、

その学者の本を作る出版社との生々しいエピソードが赤裸々に描かれています。

 

本のタイトル「本屋風情」の由来もユニークです。

ある時、岡茂雄が民俗学者の柳田國男の機嫌を損ねたことがあり、

日銀総裁や大蔵大臣をつとめた渋沢敬三がそれをとりなすために、

自宅で食事会を開催してくれたことがあったそうです。

それでも柳田の機嫌は直らず、

「なぜ本屋風情を同席させた」と言われたことから、

「本屋風情」という言葉に愛着をもつようになり、

タイトルにした…と「まえがき」で言っています。

 

それでは岡茂雄と柳田國男は仲が悪かったのかと思いきや、

「柳田邸、朴の木は残った」という一章では、

柳田國男の自宅に招かれたときに、

「朴の木は好きだがみんな枯れてしまい、枯れるのを見るのが嫌だ」

という話をきいた岡茂雄が、

枯れない丈夫な朴の木を選び抜いて、

サプライズでプレゼントしたときの、

柳田國男の戸惑いながらも喜ぶ様子が詳しく描かれています。

岡茂雄が描くエピソードからは、高名な学者たちの

決して象牙の塔の住民ではない、人間らしい部分が垣間見えます。

 

 

その岡茂雄自身もなかなかユニークな人物だったようです。

『本屋風情』の「落第本屋の手記」という章によると、

岡書院では店員も来客も昼食はあんぱんそばに限り、

相手が渋沢敬三でも金田一京助でも

それ以外はいっさい出さぬことにしていた、という徹底ぶり。

 

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『街道をゆく三十六 本所深川散歩神田界隈』

司馬遼太郎/著

朝日新聞社

 

司馬遼太郎の『街道をゆく三十六 本所深川散歩神田界隈』には、

「三人の茂雄」という一章があります。

こちらには岡茂雄の息子から聞いた話として、

「出す本ごとに本を床に叩きつけて、こわれないかテストをしていた」

というエピソードが紹介されています。

岡茂雄は「造本の要諦のひとつは、書物をこわれないようにすることだ」

と言っていたそうで、本の「装幀(そうてい)」の漢字を

装釘」と書くほどのこだわりを見せています。

ちなみに、三人の茂雄というのは岡茂雄と、

出版社の岩波書店創業者の岩波茂雄

古書肆弘文荘の店主の反町茂雄のことです。

 

 

岡書院は大正13年に創業、昭和10年ごろまで続いたようですが、

岡茂雄の残した数々のエピソードは微笑ましいばかりでなく、

当時の出版事情を知る上でも非常に興味深い資料です。

『本屋風情』は既に絶版となっていますが、

千代田図書館に所蔵がありますので、

ご興味がある方はぜひご覧になってみてください。

Posted at:12:00