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2016.01.25
コンシェルジュ通信Vol.9:戦前の出版事情を知る2冊 |
かつて神田駿河台に「岡書院」という出版社がありました。
現在の千代田区神田駿河台一丁目、
明治大学の向かい、杏雲堂病院の付近です。
文化人類学関係の出版社で、『南方熊楠全集』や
柳田國男の『雪国の春』を出版したり、
『広辞苑』の前身『辞苑』を企画したりと、
非常に大きな功績を残しました。
その創業者、岡茂雄が書いた本が『本屋風情』です。
『本屋風情』
岡茂雄/著
中央公論社
この本は第一回日本ノンフィクション賞を受賞していますが、
それもそのはず、明治から昭和にかけて活躍した著名な学者たちと、
その学者の本を作る出版社との生々しいエピソードが赤裸々に描かれています。
本のタイトル「本屋風情」の由来もユニークです。
ある時、岡茂雄が民俗学者の柳田國男の機嫌を損ねたことがあり、
日銀総裁や大蔵大臣をつとめた渋沢敬三がそれをとりなすために、
自宅で食事会を開催してくれたことがあったそうです。
それでも柳田の機嫌は直らず、
「なぜ本屋風情を同席させた」と言われたことから、
「本屋風情」という言葉に愛着をもつようになり、
タイトルにした…と「まえがき」で言っています。
それでは岡茂雄と柳田國男は仲が悪かったのかと思いきや、
「柳田邸、朴の木は残った」という一章では、
柳田國男の自宅に招かれたときに、
「朴の木は好きだがみんな枯れてしまい、枯れるのを見るのが嫌だ」
という話をきいた岡茂雄が、
枯れない丈夫な朴の木を選び抜いて、
サプライズでプレゼントしたときの、
柳田國男の戸惑いながらも喜ぶ様子が詳しく描かれています。
岡茂雄が描くエピソードからは、高名な学者たちの
決して象牙の塔の住民ではない、人間らしい部分が垣間見えます。
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その岡茂雄自身もなかなかユニークな人物だったようです。
『本屋風情』の「落第本屋の手記」という章によると、
岡書院では店員も来客も昼食はあんぱんとそばに限り、
相手が渋沢敬三でも金田一京助でも
それ以外はいっさい出さぬことにしていた、という徹底ぶり。
『街道をゆく三十六 本所深川散歩神田界隈』
司馬遼太郎/著
朝日新聞社
司馬遼太郎の『街道をゆく三十六 本所深川散歩神田界隈』には、
「三人の茂雄」という一章があります。
こちらには岡茂雄の息子から聞いた話として、
「出す本ごとに本を床に叩きつけて、こわれないかテストをしていた」
というエピソードが紹介されています。
岡茂雄は「造本の要諦のひとつは、書物をこわれないようにすることだ」
と言っていたそうで、本の「装幀(そうてい)」の漢字を
「装釘」と書くほどのこだわりを見せています。
ちなみに、三人の茂雄というのは岡茂雄と、
出版社の岩波書店創業者の岩波茂雄、
古書肆弘文荘の店主の反町茂雄のことです。
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岡書院は大正13年に創業、昭和10年ごろまで続いたようですが、
岡茂雄の残した数々のエピソードは微笑ましいばかりでなく、
当時の出版事情を知る上でも非常に興味深い資料です。
『本屋風情』は既に絶版となっていますが、
千代田図書館に所蔵がありますので、
ご興味がある方はぜひご覧になってみてください。
Posted at:12:00