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2017.08.25
日比谷図書文化館コンシェルジュ通信Vol.5: 「日比谷図書文化館」の歴史をご紹介! |
皆様、こんにちは。
まだまだ残暑が厳しいですね。
2011年に千代田区立日比谷図書文化館として、
開館するまで、多くのドラマがありました。
《太平洋戦争中、本を守った人々がいたことを知っていますか?》
今回は、旧都立日比谷図書館の歴史と共に、
本の戦時中の疎開についてお話します!
1908(明治41)年、現在の場所に東京市立日比谷図書館として
開館したのが、その歴史の始まりです。
モダンでとても美しい洋館は、1915(大正4)年に、
建築画報社が発行した“東京百建築”にも選ばれています。
戦前の東京市立日比谷図書館(『最新東京名所百景』より)
1923(大正12)年の関東大震災では、
閲覧席が破損するほどの被害でしたが、倒壊は免れます。
1944(昭和19)年、東京市が東京都に変わった翌年
都立日比谷図書館館長に就任した中田邦造は、
戦況の悪化にともない図書館にあった約26万冊の蔵書、
さらに市中にある貴重書も買い上げ、
合わせて約40万冊の図書の疎開を計画しました。
勤労学徒動員で駆りだされた都立一中(現・日比谷高校)、
高輪商業(現・高輪商業高校)の生徒たち約50名が
リュックや大八車に本を積み込んで、約50キロ離れた
奥多摩や埼玉県志木市の農家に、何度も足を運びました。
百科事典のような厚く重たい本が多く、
約一年に及ぶ図書疎開は過酷を極めました。
1945(昭和20)年5月25日、
東京大空襲により日比谷図書館は、
20万冊以上の蔵書とともに全焼してしまいました。
もし、約40万冊の書物の疎開をしていなかったら、
日本文化の多くは失われていたのです。
戦争末期の食べるものもなく、
戦争に読書はいらないといわれた時代に、
本を残そうとした志の高さに感動しました。
40万冊という大規模な数ではありませんが、
全国の図書館でも、疎開は行なわれていたようです。
当館の〈特別研究室〉には、当時の駿河台図書館から
疎開した図書の一部が大切に保管されています。
戦争と平和、文化遺産の保存と継承について、
深く考えさせられる歴史の一端に
ふれていただける場所になっています。
1957(昭和32)年、
空襲で全焼してから12年後、図書館は再建されます。
三角形が特徴的な現在の建物ですが、この形の案は
当時、館長に就任した国文学者であり歌人の、
土岐善麿博士が提唱し、
高橋武志技師を中心に、設計されました。
特別めずらしいものを作ろうと考えたのではなく、
三角形の用地を最大限に利用しようとした結果、
ユニークなこの形になりました。
2009(平成21)年、東京都から千代田区に移管され、
2011(平成23)年、千代田区立日比谷図書文化館として
生まれ変わり、現在に至ります。
当館2階図書フロア、パープルゾーンには、
旧都立日比谷図書館の歴史特集コーナーを設けてあります。
来館の際には、覗いてみてくださいね。
戦争中、本を、文化を守ろうとした
偉大な人たちに感謝しつつ、
たくさんのご利用をお待ちしています!
Posted at:11:55